2018年04月01日

復活の信仰

ども!

またまた少々サボってしまいまして、気づいたら明日(今日?)はイースターではありませんか(^^;)
イースターおめでとうございます。


そんなこんなな今日は「クリスチャンとは」というテーマで、書いてみたいと思います。
少々難しい話かもしれません。興味のある方は読んでみてください(笑)


さて、まずクリスチャンとはどんな存在かと言ったら、もちろん、「イエスキリストを救い主として信じてる人々」と定義することも可能です。

ただ、それはどういうことなのか、とか、どうイエスキリストを信じてるか、は様々な説明の仕方がありますし、色んな側面があると思います。

ので今回はその一面を一つ。


まず、クリスチャンとは完全で素晴らしい人間なのでしょうか。

それは全く違うということは、皆さんよくご存知かと思います。
私自身、自分がいかに弱く愚かな存在かよく理解してます。

が、しかし、ここで一つ聖書からイエス様の言葉を。

「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)

・・・さて困りました。この要求は非常に難しい。
しかも文脈的にここは神の基準をずっと語っています。

例えば、殺人は罪やけど人を憎んだらその時点で殺人と同じ。とか。

神の律法の基準を満たすことがどれほど高いハードルなのかが語られます。

結果、「え、無理やん?」ってなります(^^;)
その上で完全であれと。「神が完全であるように」、完全であれと。

うーん、困りますねー。。
自分が不完全であることは嫌ッちゅうほど思い知っていますし、
むしろそれでいいんだって習ってきたんですが・・・となりますよね。

しかし実はこの言葉、
これはイエス様の要求であるんですが、同時に宣言であり約束でもあるんです。

なぜか。
イエス様は世界をその言葉によって創造された方だからです。

世界の創造のはじめの時、イエス様が「光よあれ」と言われたら、光ができたんです。
「○○よあれ!」と言われたらそうなったんです。

そんな神であるその方が言われたんです。
ご自身を信じる弟子たち、つまり私たちに、
「完全であれ」と。

つまり、
たしかに今私たちは完全ではないかもしれない。弱さもあるし病気にもなる、不完全な存在です。
しかしいつの日か、必ずその宣言、約束どおりになる日が来る!ということです。

そして、そのためにイエス様は十字架で死んでよみがえって下さいました。

聖書の福音の中心は、
「イエス様がわたしたちの罪のため十字架で死んで葬られたこと、」
「そして三日目に復活して皆にあらわれたこと」
という二つにまとめられるとも言えますが、両方大事なんです。

私たちの今のこの不完全さはイエス様が十字架の上で全部背負ってくださいました。
私たちの全ての罪の罰の身代わりとなって死んでくださいました。

しかし、ほなもうそれで良いかって私たちがそこで立ち止まるというのは、
イエス様がずっと墓の中にいることになります。

しかしイエス様は復活してくださいました。

それはすなわち、私たちもいずれこの罪による朽ちる身体を脱ぎ捨てて、イエス様と同じく朽ちない完全な身体へと変わることを指し示しています。

それを信じること、これがとても大事です。

この辺があいまいだと、自分の弱さを見て、イエス様が贖ってくれたからもうOKだよね?
ってなるばかりで、でもじゃぁなんでも良いのかっていうところに答えが出ないんですよね。

どのような罪や弱さを見ても、「でももう全部赦されてるから許容しましょう。」
というのは、ある意味正しいんですが、不十分な答えです。
その結果よくあるのが、自分の弱さを見た時、「まぁイイや、だってイエス様が死んでくれたし」って思ってイエス様をお墓の中に葬りっぱなしにしてしまうようなことです(^^:)

ので、
私たちは信じなくてはいけません、見つめなくてはいけません、その向こう側にある後の完全な姿を。

なぜなら、それがアブラハムの信仰にならうということにもなるからです。

アブラハムの信仰とは、

自分の身体が死んでいることを認めてもなおその信仰は弱まらず、
約束してくださった神は真実な方であると信じきった信仰です。
また神は人を死者の中からよみがえらせることが出来る方だと信じた信仰です。
(ローマ4:19、ヘブル11:19、他)

ですから、私たちも、

今、現状がそうでないということ(たとえば自分が不完全な存在で、この身体は死んでるも同然であるということ)を認めてもなお、
約束してくださった方は真実な方であるから、絶対にその約束(今回の話で言えば完全であれという宣言)は果たされると信じ切る。ということです。

それがアブラハムが神の前に義と認められた信仰であり、また私たちが義と認められる信仰です。

ですから、その信仰を持つもの、それがクリスチャンです。

そして、これが復活の信仰です。
アブラハムもイサクもヤコブも、古の信仰の人々もみんな到達した信仰のゴール、「イエスキリストの信仰」です。(←通常「イエスキリストに対する信仰」と訳されてるが、直訳すると・・・ってその話は長くなるのでまた今度(笑))

イースターおめでとうございます♪

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(第二コリント3:18)
posted by Yoshi yam at 00:34| Comment(0) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

Erbarme dich

おっと、もう3月!
2月は短いでんなぁ。。

ところで先日というか昨日、CD録音のお手伝いにいってまいりました。

若き才能の二人、ヴァイオリンとピアノ(作曲)の二人のデュオグループがありまして、その二人のCD録音にお手伝いで参加でした。

私が参加させてもらった曲は、マタイ受難曲からの一曲、名曲中の名曲、
「Erbarme dich」です。

ちょっと解説しますと、
マタイ受難曲ってのは、マタイの福音書から、ジーザスの受難のシーンを抜き出して、
聖書の朗読に音楽をつけた曲、そしてそれに対応する歌曲、などなどで構成されている3時間ぐらいの曲です。
その中のひとつの歌曲(アリア)がこれなのですが、
シーンの説明としては・・・

イエス様が捕まった後、兵士やその他の人に、ペテロが「お前も弟子ちゃうかー?!」と問われます。
するとペテロは「そんな人知らん!」と言ってしまいます。
ちょっと前に「イエス様のためなら死ねる!」とか言ってたのに。
で、知らん知らんと何度か言ってしまった後、ハッと気づき、外に出て嘆きます。自分はなんて愚かで弱い人間なのだと。

その嘆きのシーンを歌にしたのがこの曲です。

歌詞は、
  Erbarme dich, mein Gott,   憐れんでください わたしの神様
  Um meiner Zahren willen ;  滴り落ちるわたしの涙のゆえに。
  Schaue hier, Herz und Auge  見てください、心も目も
  Weint vor dir bitterlich  御前にはげしくもだえ泣いています

という感じ。

さて、この曲は、私にとってペテロの話だけじゃないことです。

聖く生きようとする。でもそれが出来ない自分がそこにいる。
そしてひたすら自分の愚かさと弱さを嘆く。
行き着く先は、ただ、主よ憐れんでくださいというこの境地。

そしてこれは、律法という養育係を経て、全人類がたどり着くべき境地です。

私たちが聖くなるためには、ただただ、主の憐れみにすがる他ないのです。

ちなみにこんな曲です↓これをヴァイオリンとチェロとピアノで録音してきました。
どんな感じになるかなぁ。


では!
posted by Yoshi yam at 00:15| Comment(3) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

新改訳2017

ども!

最近はインフルエンザやら、風邪やらが流行っておりますが、皆さまご無事でしょうか?
私も一瞬風邪のようななんかになった気がした気もしなくもないですが(笑)、気合いで乗り切りました(*´꒳`*)

さて、ところで、今日は日本語の本のお話です。
その名も「聖書」。

いつも通りやん!というツッコミは聞こえないフリで・・・。

さて、聖書というのは、もともと、ヘブル語だったりギリシャ語だったりします。
内訳としては、
旧約聖書はヘブル語(一部アラム語)、新約聖書はギリシャ語って感じです。

そしてそれを日本語に訳したものが、私たち日本人が手に持つ日本語聖書になります。

ので、そんな日本語訳の中にもいくつか種類があります。

代表的なものとしては、
*口語訳
*新共同訳
*新改訳
*リビングバイブル
*文語訳
などなど。です。

どの訳もそれぞれ良いところもあれば、?なところもあったりして、読み比べてみると、なかなか面白かったりします。
まぁ、とはいえ、どれにすれば良いかと迷ってる方は、教会ごとに使ってる訳がありますので、ご自身の通っておられる教会が使ってるのにするのが良いでしょう。どれも聖書ですから。

さて、そんな中、私がずっとメインに読んできている新改訳聖書が昨年新しくなりました!
「新改訳2017」です。

これがねー、凄く良い、です!(^^)

今まで、色んな訳を読み比べてみて、原文を見てみて、「総合するとこういうニュアンスかなー」って感じてたところが、ちゃんと「そういうニュアンス」に訳されているじゃぁありませんか!笑
しかも日本語としてかなり自然になったので、非常に読みやすいし、わかりやすい!

私の新しい聖書も先日届いたばかりですので、まだ全部を読めたわけではないのですが、印象としては非常に良いなぁという感じです♪

尤も、前にわざわざ一生懸命勉強して、「なるほどこういうことか!」ってなったところが、普通にただ読んだだけでそうと分かるようになってるというのは、なんだか少々悔しい気もしないでもないですが…(笑)

というわけで、なにはともあれ、新改訳2017、おススメです!!
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posted by Yoshi yam at 22:35| Comment(2) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

重大任務

ども!二月ですね!
早く暖かくなってほしい、なんて思う今日この頃ですが、そんなこと言わなくてもあっという間に春がくるんでしょうね。

ところで、実は先週、私は重大任務を背負っていたのです。
牧師業の方で。

先週の火曜日、教会員の方のお母様が亡くなられて、教会に連絡が来ました。そしてお葬式をキリスト教式ですることになりました。
ところが、どうしても主任牧師の予定が合わず・・・。
お葬式というのは突然のことですし、火葬場や葬儀場の都合もありますからね。

ということで、主任牧師がダメなら当然その次は・・・ということで、司式を私がすることに。

・・・。
キリスト教式の結婚式は死ぬほど見てきてるので、いつでも司式ができるぐらいイメージトレーニングできてますけど、
それにしたってまだまだ雰囲気が若いし(それに未婚だし)、まだ早いなぁと思っていたのですが、
まさか結婚式よりお葬式の司式の役目が先に回ってくるとは。。

さすがにその役目を頂いてから当日まで、ずっと緊張してましたね。
何がって、まず結婚式なら無礼講でテヘペロが許されるかもですが(いや、ダメか(笑))、
お葬式というのは人の命と向き合う本当に厳かなものですし、そしてそこには様々な感情もあり、またご遺族の立場なんかも様々あって・・・
などなどとすごく色んなことを頭の中で考えていました。

しかし結果、本当に、やらせて頂いて、良かったなと。
素晴らしいお葬式だったと思います。
来てくださった方々に聖書の福音を大胆に伝えられ、それゆえの死後への希望についても分かちあえたとても良い時となりました。
また、シャロームチャーチのプロ音楽家(今回は母と兄)による奏楽と共に、皆で賛美歌を歌い、
寂しさや悲しさはあっても、同時に、確かにそこに喜びと希望があふれる時間となりました。

本当に主は素晴らしいです。

ちなみに私も、噛まずに、どっしりと、めっちゃゆっくりと、しっかりと語らせて頂けたなぁと感謝でした。

本当に、神さまが働いてくださるキリスト教式のお葬式というのは素晴らしいものです。
お葬式の後、皆さんが「笑顔で」こう言うんです。
「本当に良い式だった。」
そして皆さん、とても良い顔でそれぞれの帰路につかれました。

主に感謝します。
posted by Yoshi yam at 22:54| Comment(0) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

どちらに立つか

こんばんは!
あっという間にもうすぐ一月も終わりですね・・・ってこれ毎年言ってる気がする(笑)

さて、今日は非常に個人的な内容ですが、おそらく、皆さん同じだろうなって思う話です。


最近、色んな人の弱さの話を聞いたりします。
そしてそれを聞いた他の人が、「それは人としてどうなんだろうね?」って返すレベルから、
「それはあかんなー」だったり、
「なんとかならんかなぁ」などなど色んなレベルの話があったりします。

その度に割とあーって自分のことを思ってたりします(^^;)

と言いますのも、最近、よく分かるのです。
自分がいかにダメな人間か。どうしようもない存在か。
どれほどに弱い人間か。

誰かの弱さが「人格を疑うわ」と言われる時、それなら私も人格が疑われて然るべき人間なんだろうなぁ。。と。

たとえ同じ行動はしてなくても、その弱さは明らかに私の中にそれと同様のものがある。
誰かの弱さは確かに私も持つ弱さ。

というわけで、だんだん自分の許容範囲が広がってきました(^^;)

が、自分がつらい場合や何か被害を被った場合はきっと別です。きっと簡単には許容できないかもしれません。
ほら、さっき言った通り、私はどうしようもない人間でしょ(笑)

でもだから、他の人に不満を言ってしまう人の気持ちも分かる。
「許容できない」ということも理解できる。
その弱さは確かに私の弱さ。


結局の所、何が言いたいかと言いますと、
私は人が思う善悪の基準ではかるなら、本当にどうしようもないということです。

しかしイエス様の贖いによって、私は神にゆるされました。
私の弱さも、罪も、愚かさも、どうしようもなさも、ゆるされています。
そしておおわれています。

私はそこに期待するしかない人間です。そこに望みをおくしかできません。
もしイエス・キリストによる贖いが無いのであれば、
私は自分の弱さにただ、絶望するしかない。
自分では自分の弱さを克服できないからです。

神が私を、理由無く義と認めてくださるのでなければ、
人々に、あの人はどうしようもないね、人としてどうなんだろうねと判断されて、そしてその判断に身をゆだねるしかできない存在です。


さて、これはこの世における大きな戦いです。
次のどちらに立つのかということです。二つに一つです。

人間の持つ善悪の基準のものさしを人と自分に使い、人と自分によって悪と判断されるのか。
それとも神の基準による、恵みと信仰による義を受け入れて、神に義と認められるのか。

前者は「人」が「悪」と判断します。
後者は「神」が「義」と判断します。

私は後者が良いなぁ。

そして、何より大事なことで、そして嬉しい事は、
これが単なる絵空事や誰かの思い込みなのではなく、実際にそうである真実であるということです。

この天地を創られた【主】なる神は生きておられます。
イエス様は今も生きていて、私たちのためにとりなしをしてくださっているのです。

そしてそれゆえに私たちは変えられていくのです!

ハレルヤ!
posted by Yoshi yam at 00:13| Comment(2) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

クリスチャンとお酒

ども。

今日は、クリスチャンはお酒を飲んで良いのか悪いのか、というそんな微妙な問題について触れたいなと思います。
ある人は飲んで良いと言いますし、ある人は悪いと言います。どちらが正しいのでしょう?

気になりますよね。

しかし実は、このどちらが正しいかという視点こそが、私たちを縛るものなのです。

結論から言います。
飲んじゃダメだと思う人は飲まないでください。

飲んで良いと思っている人は、飲んじゃダメだと思っている人を気にしてください。

それだけです(笑)

聖書には、ダメだと思いながらそれをすると、その良心が汚されると書いてあります。
また、信仰によらない事は罪だと書いてあります。

ので、お酒を飲んじゃダメだという信仰を持ちながら、お酒を飲むならそれはそういうことになってしまうのです。


で、飲んでも良いと思っている人に関してですが、
まず、その信仰は原則的には何もおかしくないです。

イエス様もぶどう酒を飲みました。
水だけじゃなくぶどう酒も飲めって書かれているとこもあります。

ので飲む事自体は原則的に問題がないことがわかります。

しかし、もしそれで人のことを気にせず飲んでいたら、
もしかしたらそれを飲んじゃダメ派の人が見てて、その人の信仰は飲んじゃダメと思っているのに、
ほな飲んでみようかなと誘惑になってしまって、
その人の良心を汚してしまうことになってしまうかもしれないじゃないですか。
それは愛に反します。

これらは第一コリント8章、ローマ14章に書かれてることです。


それから、もう一つ。
酒に酔ってはいけないと書いてあります。

酔うってどれぐらいのことをさすのでしょうね。
一滴で酔う人もいれば、まったく酔わない人もいますね。
これもそれぞれ自分の良心、信仰に従ってください。そして他の人の良心を気にしてください。

ある人は、自分がアルコール中毒(アレルギー?)であることを知って、一滴でも飲むと大変な事になると思って完全にお酒を断ちました。

また、うちの妹は、お酒に強い一族の人間のはずですが、
お酒(に酔った大人たち)で傷ついてきた子供たちや人々のために、自身も完全にお酒を断ちました。

どちらもとても素晴らしい事です。大事な事です。

・・・おっと、どうやらお酒を飲まないのを推奨しているように聞こえてきましたか?(笑)
ではこんな話をしましょう。

先日、ある大学生の子と、数人でお酒を飲む機会がありました。

そして、大学生が帰るときに一言。
「普段大学の仲間とかとお酒を飲むとくだらない話とかしょーもないことばかりなのに、
ここの人たちは、飲んでも神様の話、信仰の話ばかりしてる!これは本物やーって思いました!!」
と興奮ぎみに。

そう、飲む飲まないは小さな事なのです。
大事なのは飲んでも飲まなくても、神の栄光があらわれることなんです。
私たちが神の民としてふさわしく生きるというのは、お酒を飲む飲まないよりももう少し上の次元にあることです。


さて、最初の問いをもう一度。
お酒を飲んでも良いのか悪いのか。どちらが正しいのか。

新約時代(簡単に言うとキリスト後の時代)に生きるクリスチャンライフって意外に難しいものですね。
どちらが正しいかって単純なルールでは決して言ってくれないのです。

それを単純なルールに閉じ込めようとするところに不協和音がおこります。
それは神のハーモニーを奏でません。
たくさんの宗教的な教会でこの不協和音が響いています。

私たちは飲む飲まないの向こう側に主を見上げなくてはいけません。
そして聖霊に導かれてすべての事を行っていく必要があります。

と、いうわけで、
クリスチャンがお酒を飲んで良いかどうかで悩んでる方は、
以上のことをふまえて、それぞれが、聖霊に導かれて、主の栄光をはなっていってください。
posted by Yoshi yam at 00:57| Comment(4) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

2018年元旦!!

あけましておめでとうございます!!

いやー2017年終わってしまいましたね。
そしていよいよ2018年です。
今後ともよろしくお願いします。

さて私にとって2017年はどんな年だったかと言いますと・・・
まず、神様が2017年のはじめに「想像してないようなことをするよ」と示してくださいました。
そしたら実際、そういうことがたくさんあった一年だったなぁと思います。

年初のほうから、とんでもすごい人たちとたくさんお知り合いになれたり、
シャロチャ以外のほかの教会で、2度もメッセージ奉仕をさせていただいたり、
賛美と証の奉仕もたくさんさせて頂いたり・・・。
そしていつの間にか楽器も1700年代のオールド楽器を手にしていたりと、
本当に想像もしてなかったようなことでいろいろ盛りだくさんな1年でした。

今年もどんなことがあるのか非常に楽しみです。

さて、2018年はブログをもう少し充実させていこうかなと思います。
去年はどうも少しサボってしまいましたので(^^;)

やっぱり誰かに何かを届けるって大事ですよね。
音楽家ってのもまさにそうなわけですけど、
やっぱり人間には、自分が与えられた環境だったり技術だったり知識だったりのそれらを用いて、そこから生まれる良いものを人と共有する使命みたいなものがあると思うんですよね。

もちろん私程度に何ができるのかなんてそんなことはわかりませんけど、
でも、神様が私に与えてくださっている役割の中で、全力を尽くして、良いものを生み出せていけたら良いなって思います。
牧師としてもチェリストとしても。

ので、今年もいろいろやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします♪

ちなみに特に今やりたいのは、
新しくキリストを信じた人たちに、スタートダッシュとして、まず知るべきキリスト教のキの字の知識をまとめたものを書いてみたいなぁと思っています。
ちょっとずつ。。

ま、そんなこんなで2018年、皆様にとっても素晴らしい1年となりますように・・・!
唯一のまことの神である主の祝福が、このブログを読んでくださっている皆様の上に豊かにありますように!
posted by Yoshi yam at 20:54| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

2017-11-21

こんばんは!

相変わらず走り抜けております。

人生初の『火の鳥』の譜面が難しすぎて、「こんな譜面を他にも大量に、日常的にこなせてるオーケストラの人たちはホントすごいなぁ。。」と尊敬のまなざし。

さて、明後日23日は、八尾にて毎年恒例のメサイア全曲コンサートです。
こちら招待券を頂いて持ってはいるのですが・・・

しかしなんと同じ日に京都では、父のプロフェッサーコンサートがあり、
それには母も出るし、教会のメンバーも出るしで、私の近い人たちはみんなそっちに行くでしょうなコンサートがあるのです(笑)

まぁ京都でも大阪でも、また他の様々な場所でも、家族のメンバー(血縁ありなし)が、
神の栄光のために自分の全存在をかけて音を奏でていると思えば、それはなんとも素晴らしい事ですね。

というわけで皆さん、離れていても応援よろしく(笑)

まぁそんなこんなでホームページの方のコンサート情報も更新しておきましたので、よろしくお願いします。
https://yamyoshi427.wixsite.com/yamyoshiya/concerts


最後に、先日10月28日にあった、小棚木、河田、山本の三教室合同発表会から、講師演奏の写真を。
うちの生徒さんたちもとても頑張った一日でした♪
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posted by Yoshi yam at 23:01| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

駆けぬけた夏

お久しぶりです♪久々更新です。

いやー夏が終わりましたね!もう寒い寒い!

そんなこんなな夏は色々盛りだくさんでした。

で、さすがに記事を書く余裕はなくてですね、
ならばちゃんと写真を撮っておいて、貼りつつ報告すれば、きっと楽しいブログになったのかも、なんていまさら思いましたが、そんなこと全然思いつかなかったです(^^;)

ので、今後は余裕があれば、写真乗っけながら活動報告でもできたらなーなんて思ってます♪

というわけで夏の思いでの写真を・・・

って全然ないやないかーい!(笑)
今後はiphoneちゃんにちゃんと保存していくことにします。。

とりあえず今回はちょっとだけ。
写真下さった方、ありがとうございます♪


*8月30日のコンサートは楽しく終えることができました♪
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*9月9日、10日はおっちーこと落合庸平さんの故郷、津山へ演奏旅行!山田養蜂所のかわいいお店!
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*9月17日は泉南福音教会にてメッセージ&コンサート♪ステキな木の教会でした^^
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10月は・・・・写真が一つもない!(笑)

そして明日からいよいよ11月!!
今年もあと2ヶ月ですね。2017年、最後まで駆けぬけていきます♪
posted by Yoshi yam at 23:15| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

責めと裁き

さて、あっという間に8月も半分以上が過ぎました。。
8月末のコンサートまでもうひとふんばりです♪詳細はHPにて〜^^https://yamyoshi427.wixsite.com/yamyoshiya

そんなこんなな今日はまじめな話を思いつきました!

最近の日本、と言っても前々から思ってましたが、
どうも責めと裁きにとりつかれてるみたいになってないかなぁと感じます。

どこかに何か責める対象を見つけたら、石打ち刑のごとく、みんなで石を投げて、心行くまで投げて、投げまくって、
そしてまた他に石を投げる対象を探して彷徨う・・・みたいな。

もはや中毒レベルの人も結構いるんじゃないかと思うぐらい、とりあえず日本社会全体が、いつも責める人を、裁ける人を探している気がするのです。

だからメディアの報道も、自然とそういう誰かを非難したり断罪するようなニュースばかりのように・・・とまでは言いませんが、多いように感じます。

ちなみに厄介なのは、気づいたら、石を投げてなかった人たちですら、石を投げている人に向かって石を投げていたりすることもあります。

実際、一週回って、みんな結局誰かに石を投げられているのかもしれませんね。
だから誰かに石を投げずにはおられないのかもしれません。

しかし、そんな日本社会に私はあることを紹介したい。

が、まずその前に言えることは・・・彼らの裁きは確かに正当なものはあるのだと思います。
悪いことをしている人を見て、「あれは悪い!」という裁きは確かに正当だし、ある意味必要なことだと思います。

その前提の上で、私はあるエピソードを紹介したいと思います。


ある罪を犯した女性がいました。
その罪は法律によると、石打ちの刑で死刑のものでした。
みんなに囲まれて石を投げられて殺される残酷な死刑です。
さて、その時その女性と群集を前にしてジーザスは言われました。(あ、イエスキリストね。)
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」

どうよ?これ。凄いと思いませんか?
まぁ結果、誰も石を投げれずにみんないなくなったんですが。

これが書かれているのが聖書ですよ。
まぁ「ジーザスがやったことを学んでみんなそのように生きなさい」ってことだけですべてを語れるほど聖書は浅いものではないですが(もちろんそれも大事)、
私はやっぱり、今の日本に必要なのは聖書だと思う。

なぜか?
今の日本はもともと聖書によって成り立っているんですよ。実は。


連日、不倫騒動の報道があります。みんなでいっぱい石を投げているかもしれません。
でもなぜそもそも、不倫は悪いものなんですか?
道徳や倫理に反するってどういうことですか?

だいたいそもそもなぜ人を殺してはいけないのですか?
私が「現在」借りて弾いてるチェロ(1724年製)が作られたより後でも、日本では「切り捨て御免!」って人が殺されるのは当たり前だったんですよ?(さすがに当たり前ではないか…?)

人が人を支配するのはなぜおかしいんですか?
ほんの100年ちょっと前まで、人権なんてテキトーなもんだったんですよ。
だから福沢諭吉の、「天は人の上に人をつくらず・・・」のあれがセンセーショナルだったわけです。

そう、ですから今、基本的にみんな持ってる道徳であったり、基本的人権であったり、当たり前の感覚ってどこからきたものなのかと言いますとですね・・・
もちろん人に「良心」という形でもともと備わっているものではあると思います。
しかし実は、文明開化のあの時に、また戦後のあの時に、アメリカや欧州の文化が入ってきた時に、聖書の価値観がどばっと流れ込んできたものなんです。

福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」なんて、その後に「と言われている」と続きますからね。
これは兄貴から聞いたものだったのですが、調べてみたら確かにそう書いてありましたね。


つまり何が言いたいかと言いますと、
聖書の価値観によって作られてきた近代日本は、今こそもう一度聖書を手に取る時代なんだと、私は相変わらず思うわけです。

もちろんさっき書いたように、
聖書は、価値観やモラルとかだけで片付けられるほど浅いものではありませんし、もっともっと奥深いものではありますが、
とりあえずそういうことが入り口になれば良いなぁなんても思いますね。


というわけで、今日、もし責めるべき誰かが目の前にいるならば、
その誰かを責める前に、もっとたくさんのことに目を留めてみても良いのかもしれませんよ?^^

そして是非、聖書を手にとってみて、そして是非、教会へー♪←最終結論(笑)
posted by Yoshi yam at 23:50| Comment(2) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

第24回 ユーオーディア

こんにちは!

え?!もう7月終わりですか?!!

すごいですね。光陰矢のごとし。
矢どころの騒ぎじゃないです。

まぁそんなこんなで先ほど、5日間の東京旅から帰ってまいりました!
てか、先に、東京に行く理由とか書くつもりしてたんですが、色々忙しすぎてブログさぼっちゃってました(^^;)

てことで、なぜ東京にいたかと言いますと、
ユーオーディア、「讃美の夕べ」に出演するためでした。

毎年ある、クリスチャン音楽家の集い。
クリスチャン音楽家のオーケストラと合唱による大コンサート。
それがユーオーディアの讃美の夕べです。
今年でもう24回目になりますが、私は3年ぶりの参加でした♪

いやー、本当に楽しかったですね。
実はオーケストラというのは、高校時代からのトラウマによって、あまり演奏する上で好きなジャンルではなかったのですが、
最近、「祈りによる、トラウマからの解放」という新たな境地も何かと勉強しているので、それを自分で実験しまくってる結果・・・
なんとそのトラウマからもほぼ解放されたようです(笑)
むしろ楽しかったです♪
もちろんそれはあくまでユーオーディアだからというのはあるでしょうが、
しかしトラウマの癒しの重要ポイントは、
その出来事(今回で言えばオーケストラ)と負の感情のつながりを断ち切って、新たに喜びとか嬉しいとかそういう正の感情をつなげるということにあるので、
今回のことそのものが、トラウマの癒しに於いて大きなプロセスなのでしょう。

そしてまた、皆さんとの交流も本当に嬉しく、楽しく、素晴らしいものでした。
毎日練習で顔を合わせてたのに、本番後にまたもう一年会えないと思うと、寂しかったですね。
でも離れていても心はキリストにあって一つ。
愛する兄弟姉妹の皆さんです。


さて、そんなこんななコンサートの翌日(つまり今日)は、
桜台めぐみ平安キリスト教会にて礼拝を共にさせていただき、その中でミニコンサートをさせていただきました。

4日間オーケストラオンリーの中、翌日いきなりソロを弾くという冒険。
まぁさすがにすでにレパートリーになっているものを中心に構成しましたが、それでもなかなかキツかったですね(^^;)
いつものように弾きこんで準備しているわけではないので、演奏中に突然ふわっと不安が襲ってくるんですよねぇ。。この辺は今後の課題ですね。
でも結果としては皆様喜んで下さって、とても良い時間となりました。
本当に主に感謝です♪

そしてその本番後、8時間の車旅を終えて、今こうして家でブログを書いているわけです(笑)

本当に感謝な、喜びにあふれた、思い出深い旅でした^^

さぁ、明日から次の本番に向けて頑張るぞい!

ではー♪
posted by Yoshi yam at 00:42| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

メッセージ奉仕

こんにちは!

昨日の日曜日は東向日キリスト教会でコンサート&メッセージの奉仕でした。

まさかのシャロチャ以外でのメッセージ奉仕ということでして、本当に貴重な経験をさせていただきました。
改めて、教会はキリストの身体としてみんな一つなんだなぁと思わされましたね。

一時間ぐらいのコンサート形式にメッセージを加える形だったので、
演奏もなかなか大変でしたが、でもなんとかやり遂げることができました♪
主に感謝です。

すごくきれいで感じの良い会堂で、音響効果もばっちりでしたし、
皆さんにも喜んでいただけたし、神様の祝福が本当に教会全体にあったなぁと思える本当に良い時間でした。

さらに、シャロチャ(京都シャロームチャーチ)の礼拝は昼と夜なので、
戻ってからもいつものみんなと共に礼拝もできたし、
朝のそのコンサートに来てくださってた方が夜礼拝に来てくださったりと、
なんだか感謝なことがたくさんな一日だったなぁと思います。


そんなこんなで次の日曜日は茨木教会での演奏奉仕です。
チラシデーター↓
https://docs.wixstatic.com/ugd/7f14b0_bc83c33919424f82a815d185bb6c9116.pdf

なんだかシャロチャ以外での奉仕が連続してあるので、なにやら神様が僕を訓練中なのかなと思いますが、
とにかく主にゆだねつつ、全力で頑張ってこようかなと思います♪

では^^
posted by Yoshi yam at 23:37| Comment(1) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

洗礼式

こんにちは!

相変わらず、のんびりブログ更新です。

さて実は一昨日、日曜日、京都シャロームチャーチでは洗礼式がありました。
バプテスマってやつです。

水にバシャってやるやつですが、
それはつまり死と復活をあらわす儀式で、
古い、罪の奴隷状態の、神から離れ自分勝手に、自分のために生きていた人生を終えて、
新しく、義人となって、キリストのしもべとして、神のために生きる人生へ生まれ変わるということを意味しています。

まぁ簡単に言うと、「私はこれからキリストを信じてクリスチャンとして生きます!」ということを公に宣言する式であるわけです。

というわけで、一昨日の日曜日にそのバプテスマを受けられた方がいたわけです。
めでたい!

が、今回は、私個人にも特別なことがありました。

実はそのご本人の希望により、司式、つまりバプテスマを授けるのが私だったんです(笑)

いやはや、牧師の任命を受けてからそんな任務までがずいぶん速いなぁって感じです(^^;)
しかし祈っていく中で、これは神様の導きだと感じて、引き受けさせていただきました。

で、当日。
まぁ私としては、チェロのお仕事で結婚式も見まくってるし、
司式は緊張せずいけるんじゃないかなとか思ってたんですが・・・

やー噛みましたね(笑)

洗礼のショートメッセージの聖書朗読で、「コロサイ」を「コロシャイ」。
宣言の質問のところで、「〇〇さん!」と言う所を「〇〇しゃん!」と言って、言い直し(笑)

とまぁ、どうやら無意識に緊張していたようです(^^;)

と、そんなこんなになりつつも、とにかく式自体は滞りなく、なんとか務めを果たすことができました♪
ホント主の恵みに感謝です。

まぁそんな感じで神様はすごいスピードでどんどこ私を訓練してくださっているようで、なんか色々やること増えてきました。
実は来月はよその教会でメッセージさせて頂く事になってたりもします。
(これはチラシができたらまたホームページの方に貼っておきます)

という感じで、神様のなさることのスピードにはすごいものがありますが、
置いてかれないように、これからも身を委ねて頑張っていきたいと思います♪

ではー!


山本善哉
Website(ホームページ)↓↓↓
https://yamyoshi427.wixsite.com/yamyoshiya
posted by Yoshi yam at 23:13| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

ホームページ

実は、本日(あと10分ですが・・・)、
私、30歳になりました!!!

いやー早いものですね。
いよいよ、ジーザスが公に活動されはじめた年齢ですよ。

ユダヤの祭司も30歳からデビューするわけでして、そんなわけで私にとっても少し特別な年齢です。

ようやく少しずつ自分が牧師であるという事に自覚を持ち始めてきたので、
今後、牧師チェリストとして、どんどこ活動していこうかと思います♪ 
よろしくお願いします。

そんなわけで、手始めにホームページをつくりしました。
https://yamyoshi427.wixsite.com/yamyoshiya
(※あ、できればパソコンで見てね(笑))

少々地味な感じになってしまいましたが、どうしても誕生日に公開したくて、強行しました(笑)

なんかアドヴァイスや、良いデザイン、良い写真、良い動画等ありましたら、お知らせください。

とりあえず、ホームページの作業でもう疲れてしまったので、この辺で〜。。

今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

山本善哉(30歳)
posted by Yoshi yam at 23:55| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

活動報告

こんにちは!
久々の更新です。

今日ある方に「なんか牧師になってから演奏の仕事減ったわー」って話をしたら、
「もしかして牧師になって演奏活動やめたと思われてるんじゃない?」疑惑が発覚しました(笑)

ので、この際はっきりさせておきます!
しっかり演奏活動しております!!(笑)

牧師チェリストとして活動中です♪


そんなこんなな今日は、チェロの生徒の大学受験合格発表でした!

いやーー合格素晴らしい!!

音楽系の大学は、チェロの実技をはじめ、ソルフェージュ(音楽の基礎能力的な感じのやつ)、ピアノ、歌、楽典などなど色んな総合能力が求められる上に、学校によっては勉強も必要になってくるという大変な受験です。

今年はチェロでの大学受験生を二人持っていたのですが、これで無事二人とも合格です!!

いやー嬉しいです。
一人は神戸大学の芸術系の学部で、もう一人は東京学芸大学ということで、先生鼻が高いぜ!(笑)

とは言えまぁ、受験に合格しようとしまいと、彼らが自慢の生徒であることは変わらんのですがね(^^)
いつも祝福を祈ってきた大切な生徒たちです。
本当におめでとう、お疲れ様でした。

これからも頑張っていってほしいです。


まぁそんなこんなで、来年度からは生徒も減るわけなので、演奏活動の方をちょこちょこ増やしていけたらななんて思ってます。
牧師としての教会での働きも、メッセージの担当回数は今は月1ですが、だんだんこちらも増やしつついこかとか話しているので、やることは山積みですね(^^)

でも楽しみです♪

「歌いつつ歩まん ハレルヤ」です♪
posted by Yoshi yam at 23:21| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月02日

心に御言葉の種をまこう

こんばんは!

突然ですが、
酷い出来事は確かにあります。
心ないことを言われたり、許せないことをされたり、相手が確かに悪いことはあるでしょう。

そんな時、相手の言葉や思いや悪意によって私たちの心には悪い種がまかれます。
そして、それは私たちの心の内で、怒りや憎しみとして芽を出します。
私たちのいつものパターンです。

しかし、相手がした事はあくまで、その種を蒔いただけであって、その種を成長させてしまうかどうかは私たち自身の心の問題なのです。
その種を、怒り、憎しみ、侮蔑、高慢など、に成長させてしまうと、それらは私たちの心を汚し、人生を食い尽くしていきます。
ですから私たちは、その種が蒔かれた時、決して成長させず、取り除いていく必要があります。

非常に難しいですが、そうする必要が、そう望んでいく必要があります。
日々訓練ですね。

さて、そして私たちクリスチャンには、もう一つのことが言えます。

私たちの心に御言葉の種をまきましょう。
そして、その種に、祈りと敬虔によって、水を注ぎましょう。
そうすれば御言葉は私たちの心で深く根を張り、大きな木となり、実をならします。
その実は私たちの人生を神の栄光で輝かせます。


私の今日の学びでした。(※あ、別に何か酷いことされたわけではありません)

ちなみに、初、携帯からの投稿でした♪
posted by Yoshi yam at 00:21| Comment(2) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

最悪!に思える時

いよいよクリスマスですね。

クリスマスシーズンは本番も多く、音楽家にはありがたい&忙しく、そして楽しい時期です♪
私も楽しませてもらっています^^


さて、そんなこんなな今日は、まじめに聖書の話を一つ。

聖書の創世記にはヨセフさんという人が出てきます。

聖母マリアさんの旦那さんも同じ名前ですが、違う人です。
クリスマスの話をしといて、違う人の話です(笑)


私たちは、時々、とんでもない状況や環境におかれることがあります。
「なんでこんな事に・・・」とか、「こんな環境最悪や!」なんてこともあるかもしれません。

ヨセフさんは、その最たるものでした。

まず、17歳の時、10人のお兄さんたちから奴隷として売られてしまいます。(正確には9人か)

なんてこった、です。
ここから彼の奴隷生活がはじまります。

その後、色々あって(てか、はめられて)牢屋に入れられてしまいます。

ここから囚人生活です。
なんてこった(二回目)、です。

状況、環境は非常に良くないです。

ところが聖書にはどう書いてあるでしょう。

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり・・・」(奴隷時代)
「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し・・・」(囚人時代)


不思議だと思いませんか?
神様がともにおられて、祝福してくださるんなら、まずその状況環境、なんとかなりませんかね。
って思ってしまいませんか?

私たちは、状況、環境が良くないと、
「神様は私とともにいてくださっているんだろうか?」と不安になります。
「祝福なんかどこにあるんだろう」って思ってしまいます。

しかし、このヨセフの話から、
こういった状況や環境と、神様の祝福とは、どうも別枠らしい、
ということが見えてくるわけです。


この世は人間の罪のせいで、ありとあらゆる、負の結果があらわれます。
ヨセフの奴隷行き、牢屋行きも、人間の罪の結果でした。
ちなみにそれは個人的な誰かの罪と言うより、そういうのが絡み合った、もっと総体的な人類全体の罪の結果といえるでしょう。

だから私たちの人生の中にも、そういった罪の結果による、あまり嬉しくない、つらい状況っていうのは訪れるかもしれません。

しかし、そんな嬉しくない状況の中でも、実は神様の豊かな祝福がありうるんです。
別なんですね。

しかも、さらに神様はその状況を、その大きな計画に入れておられることがあります。
ヨセフはまさにそうでした。

その約13年間、最悪にも見える環境、状況の中で錬られたヨセフは、
なんとエジプトのナンバー2にまで高められるのです。(パロの次に偉い人になりました)
(これはイスラエル民族全体のその後に対しての神様の計画のためです。)

なんてこった(3回目)、です。
囚人からナンバー2ってどない?!って話ですよ。
でもそのどん底時代なくしては、彼はその地位につくだけの人格、品性、信仰は持ち合わせなかったでしょう。

そして、この大臣時代も、神様の祝福は相変わらず彼に注がれ続けました。

そんなわけで、結局のところ、奴隷時代も、囚人時代も、そして大臣時代も、
ヨセフがどんな状況環境にあっても、神様は彼とともにおられ、彼を祝福されていた。ということです。
たとえ状況が悪そうでも良さそうでも、そこは変わっていないんです。


てなわけでして、このヨセフの話から見えるのはこういうことです。

私たちが、もしその環境、状況を悪く感じたとしても、
その中でも神様からの最高の祝福は相変わらず注がれており、
そして、その状況は更なる高みへ私たちを導くのだ、ということです。


もちろん、つらい状況というのはあるかもしれませんが、それでも私たちから希望が失われることは決してありません。

皆さまに創造主なる神の祝福がたくさんありますように!
posted by Yoshi yam at 23:31| Comment(2) | クリスチャンライフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

牧師

お久しぶりです。

実は先日、任命式(按手式)がありまして、

お師匠様と勝手に呼ばせていただいてるヘンリー先生の立会いのもと、

最も敬愛する牧師先生である森章先生、
最も信頼する、愛する両親である、山本毅牧師、由美子牧師
の先生方から按手を受け、

まぁとにかく、これにて京都シャロームチャーチの牧師の一員となりました。

正直実感がないのですが、今書いてみて、なんかとんでもないことになってるなと、ふと思います。

自分が、って少しでも思ってしまうと、不安が押し寄せます。
自分にはまだ無理だって。全然足りてないって。

でも、自分じゃない、イエス様がするのだ、とまた思い直すと、平安に包まれます。

森先生も言ってました。

「まだ無理、じゃないよ。ずっと無理だよ(笑)自分の力では」

本当にそうだと思います。

弱いなぁと思う連日です。(とは言え、少しでも成長の実感があって感謝!)

こりゃ大変だ(笑)

どんどん、チェロも弾かないで、祈って聖書をひらいてる時間が長くなってしまいました。

・・・あ、まぁチェロも弾かんとな(^^;)


ふぅ。
さてこれからどうなることやら。

それと今回、みんなの祈りと愛をすごく感じました。

当日まで、本当にみんなからの祈りが僕に力を与えてくれました。
そして、按手後、みんな、喜んでくれた。
お祝いしてくれた。(お花やお祝いもらったり♪)
誰も、「あいつが?」とか「無理じゃね?」とか「心配だなぁ」とかなかった。(と思う(笑))

なんか神の家族、兄弟姉妹みんなからの愛を実感しました。
本当に感謝です。

霊的な感覚の賜物を持ってるとか、そういうのは結構少ないほうかもしれないけど、
みんなからの愛っていう賜物は本当にもらってるんだなと感動しました。
あ、これ今度みんなにしゃべろっと(笑)


ま、そんなわけで、これからも主の道をさらに求めて、
上から来る知恵によって、
賜物を求め、いただいて、
イエス様だけを見つめ、
まっすぐ歩んで生きたいと思います。

今後とも、よろしくお願いします。
posted by Yoshi yam at 00:29| Comment(4) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月12日

鍛錬

とりあえず月一更新!(笑)

なんだか10月は休日が多いです♪かなりのんびりしております。

ところで音楽家って休日はいったい何をやっているのかと言いますと、

基本的に鍛錬です。
つまり練習です。訓練です。
(もちろん個人差はあります。)

そんなわけで、今日もダラダラしつつ鍛錬してたのですが、
でも私はチェリストの一面と、牧師見習いの一面もあるので、
そういえば聖書にも鍛錬について書いてある場所あったなぁ・・・と。

Tテモテ4:7、8にこうあります。
「敬虔のために自分を鍛錬しなさい。肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です」

ふむぅ。

ぶっちゃけ、具体的に何をすれば良いのかさっぱりです(笑)

まずそもそも敬虔とはってのを考えないと。
しかしこれは原語から調べないとなんともいえないなぁ。

と思ってみて調べてみましたが、もうちょっと調べてみたいので、まだちょっと時間がかかりそうです。


とにかく、チェロの鍛錬や身体の鍛錬は、何をすれば良いのか分かりやすいです。
エチュードも筋トレのメニューもあるし。

でも敬虔のための鍛錬って、そもそも何をすれば良いのかすら暗中模索状態。

まぁ先人たちの知恵を借りれば、聖書と祈りに専念するってことなんだろうけど(笑)

・・・・よし、祈るか。

ではー(^^)
posted by Yoshi yam at 22:26| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月27日

ご無沙汰しております。
いつの間にやら夏が過ぎ去り、秋になりましたね。

いやー走ってまいりました。。
グランドキャニオンから始まった旅の連続と本番の連続の日々、気づいたら9月も終わりです。

ほんで、いつかグランドキャニオンのレポートは書こうかなと思っておりますが、非常に勉強になりました。
目からうろこの情報がてんこ盛りで、すごいこっちゃでしたよ。
うまく文章にまとめられたら、載せようかなと思います。

そして今月はなんと言っても福島への演奏旅行!
これはもう本当に神様の祝福がすごい、恵みいっぱいの旅となりました。

こちらのレポートは・・・確かtaちゃんが・・・。

http://ensemblephilia.wixsite.com/philia/single-post/2016/09/22/%E6%BC%94%E5%A5%8F%E6%97%85%E8%A1%8C-in-%E7%A6%8F%E5%B3%B6

めっちゃ良いレポート書いてくれてます。
無断転載!(笑)

そんなこんなな秋入りですが、
今日からは生徒たちのレッスンを数件するだけの平和な日常です^^

というわけで、この秋は、年単位でさらうような大きな曲を練習しつつ、
そして教会のこと色々やってくかなー。
と思っています。

ではではまた♪
posted by Yoshi yam at 22:34| Comment(2) | 日々の徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする